共栄堂は神田神保町にある有名なカレー店である。共栄堂は創業は大正13年と古く、スマトラカレーという独特のカレーが楽しめる。特徴は、黒濃色のソースで香辛料と、形がなくなるまで煮込んだ野菜、肉のうまみが凝縮されたカレーである。小麦粉は使っておらず、食感はさらりとしているが、味は濃厚である。スパイスと辛味のバランスもよく、飽きない味が楽しめるといえる。メニューはポーク、ビーフ、チキン、エビカレーなどがある。ライスとカレーの相性もいい。グルメ本でよく取り上げられている共栄堂さんのカレーを食べに行きました。JRお茶の水駅で降りて、しばらく坂を下って、靖国通りに着いたら右折してしばらく歩きます。靖国通り沿いにあります。お店は地下にあります。19時ころに行ったと記憶しています。お店は混んでおりましたが、待たずに座れました。せっかく来たので、一番高いタンカレーを頼みました。最初にポタージュスープが出されます。それを飲み終わったころにカレーが出てきました。カレーの色は独特な色で、黄金が錆びた色(?)って感じでしょうか?なんとも独特な味で分析できませんでしたが、魚成分のうまみらしいです。クセになる味です。また行きたいです。
新潟県中越地震(04年10月23日)からの復興を願い、キャンドルアートの灯をともしてきた同県長岡市のキャンドルアーティスト、馬場一樹さん(28)が、阪神大震災から16年を迎える17日、被災地の兵庫県芦屋市でキャンドルイベントを開く。中越地震のイベントで使用したろうそく140個以上を持ち込む予定で、両地震の犠牲者を追悼し、被災者の思いをつなぐ。【岡村昌彦】
馬場さんは4歳の頃からスキー競技を始め、いつも身近にスキー板に塗るワックスがあった。ものづくりも好きで、高校生のころにはワックスを加工して自分でろうそくを作るようになった。
大学在学中、たまたま帰省中に中越地震に遭遇。実家は一部損壊したが、馬場さんと家族は無事だった。停電したため、自作のろうそくを近所に配って回った。「近所の人たちから『本当に助かった』と感謝された。電気のありがたさと同時に、ろうそくのありがたさを感じた」と振り返る。
この経験をきっかけに大学卒業後、独立してろうそく作りの仕事を始めた。色づけしたろうを調合するなど、独自のろうそく作りに取り組んでいる。
中越地震から6年を迎えた10年10月23日には、JR長岡駅前で復興祈願のキャンドルアートイベントを開催。その際、芦屋市の西法寺から新潟県小千谷市の極楽寺に送られた使い古しのろうそくを、長岡市の山古志小・中学校の児童・生徒らが再加工して作ったろうそくも展示した。
馬場さんは、被災者同士で交流を図ろうと、西法寺でのキャンドルイベントを企画。追悼法要に合わせ、震災発生時刻の午前5時46分から開催する。馬場さんは「大きな地震を経験した者同士、交流を深め、どんなメッセージを発信できるか考えたい」と話している。問い合わせは馬場さん(090・1114・6193)。
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阪神大震災の被災地で仮設住宅や災害復興住宅を訪問し、被災者との対話を続ける市民グループ「週末ボランティア」(東條健司代表)が8日、震災丸16年を前に被災者とボランティアによる「追悼と考える会」を開く。
同グループは震災のあった平成7年の6月から毎月数回、週末に被災者を訪問し、震災体験や復興住宅での悩み、健康状態などあらゆる声に耳を傾け、高齢化の進む被災者らの生活を見守ってきた。16年間の活動で全国の延べ約1万6千人のボランティアが参加し、約3万3千戸の被災者宅を訪ねた。
被災者とボランティアの交流会は毎年、1月17日の直前の週末に開催。震災の犠牲者に黙祷(もくとう)をささげるとともに訪問活動をふりかえり、被災者とボランティアが互いの現状や今後について語り会う。
会場は神戸市中央区の復興住宅で、被災者の倉谷志之武さん(75)が毎年自宅を提供している。その倉谷さんも訪問を受けた被災者の1人。活動拠点のない同グループが屋外でミーティングしているのを見かけた倉谷さんが「部屋を使ってください」と声をかけて以来、倉谷さんの自宅が雨の日も風の日も訪問を続ける同グループのよりどころとなっている。
東條代表は「訪問活動を通して、それぞれの出会いに意味があると感じる。年に一度の交流の場なので、被災者にも気軽な気持ちで来てもらえれば」と話した。
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【兵庫】阪神大震災で右脚に後遺症が残った神戸市長田区の入口陽亘(はるのぶ)さんが昨年5月、68歳で亡くなった。つえを手に、妻茂子さん(68)が営む焼きそば店「そば焼 いりちゃん」を手伝ったが、晩年は脳出血により車いす生活だった。「でも長田の町だから頑張ってこられた」。夫婦を支えてくれた長田に茂子さんは感謝いっぱいだ。
住んでいた同区の2階建て住宅は震災で全壊。1階で寝ていた陽亘さんの右脚にテレビが落ち、その上にはりや天井が重なった。午後に救出されたが、クラッシュ症候群と診断され、2カ月半入院した。ひざから下が真っ黒になり、つえを手放せなくなった。
茂子さんが働く焼きそば店があった「神戸デパート」(同区)も全壊し、閉鎖された。茂子さんは仮設商店街で100円ショップを始めたが、なじみ客から「そば焼いて」と頼まれた。「安くてうまい」と評判の店だった。神戸を離れた店主からも「味をなくさないで」と託され、98年8月、神戸デパート跡近くに「いりちゃん」を開店した。
自宅は再建できず、区内の市営住宅は障害者枠でも落選が続いた。それでも長田にこだわり、近所の長屋に住んだ。陽亘さんはオートバイを運転するまで回復。「いりちゃん」で皿洗いや掃除、配達もこなした。しかし、07年12月、脳出血で緊急手術。右半身がまひし、大好きな酒も飲めなくなった。だが、長田の町は温かかった。陽亘さんが車いすで外出すれば、近所の人が声をかけてくれ、寒い日には、車いすに座布団を敷いてくれた。
陽亘さんの死後も、店には常連さんが次々に訪れる。週末には、神戸デパートの店に食べに来ていた当時の子どもらが「おばちゃん、覚えてる?」と立ち寄る。つらい時も支えてくれた長田の町。残された茂子さんは体が動く限り、ここでそばを焼き続けるつもりだ。【川口裕之】
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